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小田原城総構(そうがまえ)を歩きたくて♪ -その2ー




今日の目的地から漏れていた「三の丸新堀土塁」に偶然 立ち寄った。ラッキー♪



2月2日

1月27日に、時間切れで
後ろ髪を引かれながら途中で引き返した山側の半分を
早く歩きたくて しょうがない。

今回の目標は「小峯御鐘ノ台(こみねおかねのだい)大堀切」を観ることと、
前回の軌跡につなげることだ。
現実とのギャップもあるので、地図を見ながら、どう歩こうかと思案し
再度 小田原へ向かった。



今回も不本意な軌跡となった。
小田原その2軌跡


 

いろいろ考えた結果、小田原駅西口から南南西に向かい
総構に乗ることにした。
JR東海道新幹線と東海道本線をまたいで、
小田原城址公園沿いに進んで行く。
今日は前回ほどお天気は良くないけれど、
どんな展開が待っているのかワクワクしてしまう♪



天守閣は4月下旬まで、耐震改修工事と展示リニューアルのため休館中だそう。

左:途中で見えた白い建物の奥が「八幡山古郭・東曲輪」のようだ。今度行ってみよう。
右:トンネルを出て道路を渡った(振り返って撮影)



道なりに ゆるい坂を上って行くと、右手に土塁らしきものが見えた。

へえ~、「小田原城跡 三の丸外郭新堀土塁 歴史公園」って、この奥かな?
ずいぶん地味な看板だ。



奥には、トップの写真の景色。右側にあった看板の所でパチリ。
なるほど遠方の景色は全く同じだね~当然だけど(笑)




「まちあるきの考古学」さんの下記記述と、
現地にあった説明文をあわせると、そうだったのか!
と合点ガッテン。
ちなみに総構のことを「大外郭」ともいうようだ。

【 駿河国大森荘(現 静岡県駿東郡)から進出した大森氏が、
小田原の地に城を築いたのが康正年間(1455頃)とされます。
明応四年(1495)、伊豆から出た北条早雲が大森氏から城を奪い、
やがて関東一円に覇を唱える戦国大名北条氏の城下町として
政治、文化の中心となります。

早雲が奪取した当時の小田原城は、現在天守閣のある場所よりずっと山側で、
八幡山とよばれる現小田原高校の辺りに本丸があり、
規模も小さくJR東海道線まで範囲の小さな規模だったといいます。】



もう一度トップと同じ位置から撮った三の丸跡。



上の位置から正面に歩いて振り返った写真。さっきは右の土塁上に立っていた。

さらに先に進むと、ゆるやかな下り坂に。もしかして空堀かな?(振り返って撮影)



さっきの説明板には、この航空写真もあった。左上部が目ざす「小峯御鐘ノ台大堀切」だ。




歴史公園の看板のあった入口まで戻ると、前方に こんもりした林があった。あれかな?

ハヤル気持ちを抑えて、久しぶりにパチリ。ミラーが汚れていてちょうど良かった(笑)



突き当たった所が、「小峯御鐘ノ台大堀切東掘」の入り口だった。

そのやや手前の所に説明板があった。



それぞれ拡大すると(4枚)










ちょっと分かりにくい図だけど、まぁ行ける範囲で探してみよう。と、まずは東掘へ。

ここはよく歩かれているようだ。写真も多く載っている(振り返って撮影)



おっ!右手の斜面に けっこうな大木が現れてビックリ。タブノキかな?




もう一本、これも立派だ。やっぱりタブノキ?




終わりが見えてきた。先方に階段がある。

階段から道路に上がって振り返って見た所。左側は城山公園になっているらしい。



こちら側にも、説明板が少し離れて二ヵ所に立っていた。これにて東堀は終わり、




この後、中堀を通って東堀の入り口に戻ることにした。途中に、こんな説明板があった。

ここにニワトリが放してあったのでビックリした。



説明板の奥は小広くなっていて先は斜面、下に屋根が見えた。
右に踏み跡が続いているのを確認して戻った。

説明板の向かいは蓮船寺。車道沿いに東掘りの入り口に戻って、次は西堀の探索へ。



ところがチョット勘違いをしていてウロウロ苦戦、今日はここを楽しむこととなった(汗)
小田原厚木道路から真鶴半島が見えた。

左:城南中の脇の石段に見当をつけて登って行くと  右中:明らかに土塁になっていた。
右下:さらに上に行こうと思ったのだけど、密ヤブで諦めバック~地図と相談。



さっきの中堀の奥に続く踏み跡を辿ってみることにした。
グルッとまわって戻り、先に続く心細い踏み跡を辿って行くと

城南中の裏手からグラウンドに出た。この木々の奥に中堀から続く良い道が通っていた。



今日 出あった花は河津桜とヤブツバキ。どちらもピンクが春らしい♪

道なりに歩いて行くと石柱があり、



その前が西堀跡で看板が立っていた。




道はさらに続いていくが、歩きたかったのは この道じゃない。
城南中の裏を通る総構が、この道よりもっと左側にあったはずだ。
そこを歩きたくてウロウロ探したんだけどなぁ。ダメだった。

途中でパッと視界が開けた。ここも土塁と空堀の形状になっている感じ?
あの、円形の建物は何だろう??知りたい!!



大正7年から8年間 暮らした北原白秋は
この付近からの眺めを愛したらしい。確かに気持ちの良い所だ。
そばにカラタチが植えられていたのはデキスギ?


丹沢表尾根をアップで。箱根方面には雲がかかっていたので写真ナシ。



歩いて来た道は小田原厚木道路に合流していた。
標識の立っている奥の道から出てきた(振り返って撮影)。
すでに3時、今日は前回歩いたルートとつなげたいので、ここで引き返すことにした。

推測だけれど、この奥の盛り上がりが歩きたかった総構だった気がする。
今は建設会社の敷地で入れない。



来る時は気づかなかった こんな石積みも道のはじにあった。もしかして年代物?

持参の案内図では、この辺りから総構に乗れるようなふうだったけど、
少し奥で行き止まり。ここも建設会社の敷地らしかった。



3時20分、大山が美しかったのでズームで。




3時32分、西堀跡の看板があった少し西側の舗装路を入った。
時間が押しているので まっすぐ帰るつもりが

もしかして総構につながっていくのでは?と思わせる横道が現れ、誘惑に勝てず
つい入ってしまう(笑)。右手を見るとレンガかブロックのような物が見えたが、先に進む。



最初は良かった道は

だんだん踏み跡になり



ヤブに突き当たった。上方と下方を何度か行ったり来たりして
それらしき跡を探すも、行かれそうもないので諦めた。

戻る途中に、こんな段状があった。



横道に入る前の、元の舗装路の続きを行くと、こんな眺め。
奥が土塁で手前の畑地が空堀だったのかな?

最後に、上から見えた謎の建物確認へ。手前の看板を見て、
てっきり関東学院大学の眼科かと思ったのだが、帰宅後 調べたら関学には眼科はなく、
「佐伯眼科」という病院だった。学生が駐車しないように注意書きかな?



地図を見ながらドンドン行くと、見覚えのある大学の建物が出てきた。
(前回は向こうから来た)でも、この柵に出入り口はなかった。構内に入れるかな~

構内で作業中の男性に、ここを行けば中につながっているか聞いてみた。
行ったことがないので分からないという返事に、まぁ行ってみるしかないわ。



「案ずるより産むが易し」だったね、ホッ!

この辺もハッキリと土塁が残っている。



この位置からの眺めは土塁と空堀に関して、なかなかのものではないかと思った。




ということで、一応 軌跡はつながった(緑が前回、赤が今回)
小田原軌跡1と2



だけど、あとで思い返してみて、残念に思う箇所があったし、
行きたい所も残っている。
それに、ガイドマップやネットであがっている場所ではなく、
ここは そうかもしれないなぁ、な~んて
乏しい知識と経験をもとに、知られていない部分を発見するのが楽しい♪

“自分の小田原散歩”にするには、もう少し小田原通いが続くかなぁ








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